2009年2月13日金曜日

散歩道MAP


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 今回の散歩は終了です。一週約2km徒歩60分ぐらいです。時間が無かったり、疲れたときは、途中ホテルニュー白亜紀の縁を回るように神社の東参道を戻るか、神社の参道から漁港へ北参道の階段を下って戻ってくれば時間の短縮になります。
 今回は南の灯台から回りましたが、逆の磯崎漁港から回ったほうが疲れないかもしれません。
 
 写真の一覧がネットにUPになってます。一覧で見た方がイメージが膨らむかもしれませんね。Googleのピカサで見られます。

■次回予告 次回はとらや旅館から平磯中学校下までのシーサイドラインを予定しています。

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2009年2月9日月曜日

散歩道⑬漁協からとらや旅館へ










 

 漁業組合よりとらや旅館へ海岸線を戻ります。漁協を出るとすぐ左に公衆トイレがあり駐車スペースがあります。ここは海が荒れたときに最初に波を被ります。波と一緒に石や流木が打ち上げられます。平磯まで歩道も無く海岸道路の整備が遅れています。温暖化の影響か最近は道路に波が上がるのが度々あります。写真で見るようにひたちなか港を作りだしてから海岸に砂利が大量にたまりだし磯が危なくなっています。海草やアワビも少なくなっています。この先どうなるのか心配です。














 とらや旅館北側鳥居と道路(参道)があります昭和ショウワ7ネンに鳥居がツクられたと石碑にあります。とらや旅館の前の海岸道路は昭和9年に整備されました。
 鳥居をくぐり神社に昇る坂道は古フル地図チズにもかれており、イソ海草カイソウ魚貝ギョカイりに
住民の生活セイカツ道路でもあったのだとオモいます。

平磯ヒライソマチナツかしい時代 http://www.geocities.jp/jamillahouse/bird-view/ajigaura/ajigaura.html     

2009年2月8日日曜日

散歩道⑫磯崎漁港

 漁港に入って左を見ると阿字ヶ浦海水浴場の砂浜から、東海村、ひたちなか港、日立と連なる景色が目に入ってきます。



   



 
 漁港ギョコウ
から阿字ヶ浦アジガウラかう海岸カイガンの絶壁はミヤワキとよばれ今は堤防が築かれ砂浜で歩いて阿字ヶ浦へ行き来できますが、以前は岩が露出し年によっては干潮の時しか通れませんでした。




  防波堤で釣りをしている人をよく見かけます。防波堤から海に落ちる事故がたびたび起こります。特に一番南側の波が一番あたる堤防で事故があります。堤防からテトラポッドに乗り滑って下に吸い込まれる事故が多発します。危険ですから絶対にテトラには乗らないで下さい。落ちたら海草で滑ってまず助かりません。漁協ではあまりの事故の多発に堤防への出入りを禁止しています。それでも結構釣り人は入っています。漁業組合の角に水難事故で亡くなった方のための供養塔があります。


2009年2月7日土曜日

散歩道⑪北参道



 
 比観亭跡から磯崎漁港側に出て、坂を下ります。ここから磯崎漁業組合までは道も狭く歩道も無いので、車に注意してください。左にゆるくカーブする手前、船橋旅館さんの手前から左に漁港に出る側道がありますのでそちらに進みます。車の通りもほとんどありませんし、眺めも良いです。
 船橋さんとえびのやさんの間から、車道を横切って神社に登る参道があります。宮司さんに伺ったところ特別名前は付いていないとのことで、北参道としました。下から見た写真と上から見た写真です。
 
 
 地元磯崎小学校の卒業生は、卒業後積み立てをして最初の厄年(数え年25歳)の元日に磯前酒列神社で同級生一同お祓いをします。又、小学校と神社に寄付をします。児童数が極端に少なくなったので現在も続いているか分かりませんが、神社の石垣や敷石には「〇〇年度磯崎小学校卒業生一同」の 文字がいろいろなところにあります。
 







2009年2月6日金曜日

散歩道⑩比観亭跡と大内地山の碑

























 
 

   神社の大鳥居をでて海岸側に道路を渡ると比観亭跡があります。比観亭は寛政2年(1970年)、水戸藩随一の景色として徳川治保により建てられました。
 眼下に磯崎漁港を見下ろし、海の眺めが素晴らしい。しかし、当時の方が景色はもっと良かったように思います。
 又、ここは地元で「椿山」と呼び、春は椿(さかつら椿・やぶ椿の一種)が綺麗に咲きます。


 
 












 比観亭跡を海岸側(東)に降りると大内地山の碑があります。 大内地山は日本一の生産量を誇るホシイモの生みの親です。
 少々藪になっており、もう少し整備して欲しい所です。







■ひたちなか

2009年2月5日木曜日

散歩道⑨酒列磯前神社

酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)

 斉衡3年(西暦856年)に創建された小彦名命(すくなひこ)通称恵比寿エビスさまと、大名持命(おおなもちのみこと)通称大黒さまを祀る神社です。小彦名命は医薬の祖神で、醸造の神、特に百薬の長である酒の神として崇敬をあつめ、また、天神様として有名な学問の神「菅原道真公」が、学問の神と崇めていたことから学問成就・合格の祈願が多い。
 左甚五郎作と伝わるリスとブドウの彫刻や、水戸藩第九代藩主徳川斉昭公お腰掛石、茨城県指定天然記念物(境内全域が指定地域)の大鳥居から本殿にいたる椿を主とする300mの参道など見所一杯です。




















 茨城県内の神社総数は 2,466社。(茨城県神社庁の資料より)
 太平洋戦争以前は神社に社格という位があり、酒列磯前神社と大洗磯前神社ニ社だけが国幣中社に格付けされ、酒列磯前神社より上は、最高位国幣大社の鹿島神宮と別格官幣社の常磐神社だけで、天皇陛下に直接拝謁することが許された数少ない四社の内の一社です。
 古より那珂大地の神社信仰の中心になっていた神社です。
 とにかくいい神社です。




























*磯崎町は古くは平磯町字磯崎でした。
下記「平磯町の懐かしい時代」のホームページは、地域の昔の文化・風土を大変詳しく紹介してあり、貴重な写真・資料を見ることが出来ます。
一見の価値有! (酒列磯崎神社についても詳しく紹介しております。)

■酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)
http://sakatsura.org/
■平磯町の懐かしい時代
http://www.geocities.jp/hiraisomachi/kankohchi/no4-2/kankohchi4-2.html
■茨城県神社庁
http://www.oyashiro.or.jp/link/index.html



散歩道⑧酒列磯前神社の杜




 酒列磯前神社を取巻く杜で、現在遊歩道を整備しております。夏でも涼しく、地元磯崎町を潮風から守る鎮守の森として昔から大事にされております。椎木などの大木が繁り、子供の頃は木登りをして遊びました。
 太平洋戦争の時代に、とらや旅館の上の所から神社、阿字ヶ浦にかけて、防空壕が掘られ、戦後そのままだったので、とらや旅館の上の穴から入って、阿字ヶ浦の宮ノ脇(磯崎漁港北の絶壁)まで穴の中を通って行ったり来たりして遊びました。 今考えるとなんて危険な事をして遊んでいたのかとゾッとします。
 現在は調査の上埋め戻されました。
■平磯町の懐かしい時代
http://www.geocities.jp/jamillahouse/bird-view/ajigaura/ajigaura.html#